アミメメモ
平 川 渚 http://www.nagisahirakawa.net
2024/09/01
2024/08/03
2023/12/19
2022/06/27
間借りオープンアトリエ#1の記録
5/27から休館日を挟んで5日間、湧水町のくりの図書館で間借りオープンアトリエの1回目を行った。
初日、やたら気持ちが急いて肩に力が入りまくって自宅から高速道路を運転して会場に向かった。1時間20分の運転中、それまでの日常のとっちらかった雑念が車の速度とともに置き去りにされ、意識が徐々に一つに集約されていった。けれどもうっかりインターを降りそこね、宮崎県まで行ってしまう・・いい具合に疲労し肩の力抜ける。なんだか最近というか産後からずっと、うっかりミスとかうっかり物忘れがものすごく多くて心配になる。単に老化なのかもしれない。
今回の湧水町での公開制作では、一番最初の作り目をつくるところから始めた。ありがたいことに会場が図書館なので、編み物の本はたくさんあり、それらを参考にしながら編んでいった。
かつてニット帽だったグレーの糸で、もともとの編地(二目ゴム編み)を踏襲して編む。
二目ゴム編みは、表、表、裏、裏、と目を二目ずつ交互に編んでいく。ただこれだけなんだけれど、ちょっと意識がそれると今どっちを編んでいるのかわからなくなり、途端におかしな編地が出来上がる(そしてそれにだいぶ後で気づく)。常に頭の中で「1、2、1、2、、、」と唱えながら編んでいかないといけない。
今まで編んできたかぎ針の作品では、少々目の数が違っても全く問題がないし、手は自動運転で意識は全く別のところに行っていたり、人と会話をしたり、身体を使って編む感覚だったけれど、この棒編みは、一目でも編み間違えるとそれが全部バレてしまうので、気を抜けない。目の前の編地に全意識を集中させ、頭の中で数をカウントし続ける。そして注意深く糸を手前と向こうに行ったり来たりさせる。うっかり症状な私には、かなりな集中力を必要とする作業だった。
同時に提供してもらった編み物の、編地の種類の追跡も行う。今回の作品ではほどかれる前のモノだったときの編地を、一部再現するように編んでいきたいと思っている。ほどくときには再現することを思いついていなかったので、写真を手掛かりに編み方を捜索する。編地は全て編み目記号に置き換えられていて、この記号が共通言語として編み手の間にある。この暗号のような記号を介在してそれぞれの手でかたちがつくられていくという在り方が、とても興味深い。
あみもの提供者で座談会にも参加してくれたTさんが、「今日からでしたよね」と会場に来てくださった。Tさんは編み物歴60年以上で現在も編み物をはじめありとあらゆる手芸の達人であり広い畑で野菜も作り続けている方。勝手に編み物の師だと思っている。前回お宅にお邪魔した際、座敷にいっぱいに並んだ作りかけの小物たちや材料と、至る所に飾られたこれまで作ってきた作品たち。やること作るものがたくさんあるので一人暮らしでも全然寂しくないとおっしゃっていた。理想であり憧れである。
Tさんにここぞとばかりに棒編みの疑問やわからないところを質問する。Tさんがご自分で編んで提供してくれたセーターの写真をみながら、どういう編み方なのか尋ねると、「変わりゴム編み」という今まで聞いたこともない編み方だという。編み方の本が家にあると思うから貸してあげるよ、と言ってくださる。
翌日、公開時間前にTさん宅へ伺い、「変わりゴム編み」の編み方が載っている本と、編み目記号が網羅された本を貸していただく。そしてなんと変わりゴム編み他数種類の編地のサンプルを昨夜のうちに編んでつくってくれていた。実際に編み方を実演もしてくださる。さらにはご自身の号数ごとに仕分けられた棒針数十本のセットを貸してくださる。その棒針で編んでいく。
制作しながら、会場を訪れてくださった方とお話をした。話をすることで気づきやインスピレーションを得る、作品の方向性が見える、といったことがあり、そのために制作の一部をオープンにしておくことが大事なんだとあらためて思い至る。
ご自身も編み物をされていて、片道3時間かけて来てくださった方。追跡中の編地のほとんどを解明してくださる!楽しく編み物トークをさせていただき、会話の中でお子さんを現在も看病されていて、その傍らで編み物を編んでいると話してくださる。「編み物をやってたから、やってこれたのかもしれない」とおっしゃった言葉。
編むことは、とにかく前へ進ませる力を持っているのかもしれない。ひと目ひと目、目や段の数が増えていくとともに、自分も前に進んでいく。つくることで、生きる。生きるために、つくる。
でもときどきああ、これはもうどうしようもない、と途中でびゃーっと数日分をほどくこともある。行きつ戻りつしながら進んでいく。
広報誌で情報を見て寄ってくださった年配の女性。自身もかつては機械編みをよくされていたそうだ。昔は進学する家、しない家というのが大方決まっていたので、しない家の女の子は編み物や裁縫をする時間がたくさんあったというお話。今の子は、みな進学するから塾や勉強で忙しく編み物をするような自由な時間がないですね、今は何でも既製品で、こうして一からもの作りをするようなことってないんじゃないかしら、ということをおっしゃっていた。なんでも与えられて、ボーッと生きていられる、と。ドキリとする。
あなたが編んでいるのを見て、とても楽しそうで、また編みたくなった、とおっしゃった。
そう、編み物はとても楽しい。
編み物の経験のある来場者の方が「私は編み図を見てその通りに編んでただけだから」と謙遜のような意味合いでおっしゃる方が多かったのだけれど、
作業を進めていくうちに、本の編み図の通りに編むというその作業性に没頭したくなる気持ちがわかってきた。
日々の仕事や家事や育児、予測不能なイレギュラーなことが次々起こりそれに対処する毎日の中で、隙間時間や家族が寝静まったあとの時間、さてと編み棒をとり出したときに、自由な発想でクリエイティブなものを作るという方向にいくだろうか。ただただ無心に、作業に没頭したくなるのではないかと思う。何をつくるか、よりもただつくる、ということが大事だったんだと思う。
2022/05/26
間借りオープンアトリエ
2022/01/13
棒編み手始め
今年度霧島アートの森で行う個展に向けて、棒編みを習得することにした。
これまで、作品はかぎ針編みで作ってきたのだけれど、今回提供していただいた手編みのあみものは、多くが棒編みであって、セーターやマフラーは普通棒針で編むので当然そうなる。それらをほどいて自分があらたなかたちに編み直すときに、全部かぎ編みの手法のみ、というのも不自然な気がして、棒編みを取り入れることにした。
この年末年始に実家に帰省した際、針と糸を買いに行き、図書館で編み物の本を借りて母に教わりながら少しずつ編み始めた。棒編みは、一度作った目を裏、表と繰り返し編んで縦に伸びていく。どちらかというと織物に近い印象がする。
思い返せば中学生くらいのときに初めて編み物をしようとして編んだマフラーは棒針で編んだ。結局完成しないまま、おそらく今も実家の押し入れのどこかにある。手芸的な編み物はその未完成の一点のみで、長らく後になってから美術作品としてかぎ編みの手法を用いるようになった。
かぎ編みは、全方向自由に編み進めていけて、方向転換も容易でどこまでも編み続けられる。はじまりも終わりも自分次第で形の決まりも特になく、その自由さが性に合っている気がしていたけれど、
一段、また一段、と着実に編み進めていく棒編みの進行の仕方は、こちらもなかなかはまると手がとまらない。一方で一段編み終わったところで針が一本抜けるので、保留にしておくのも大変容易である。一段編むのはほんの数分なのだけれど、一段でも二段でも編むだけで、ちゃんと行為が積み重なっているのが目に見えて実感できる。傍らにいる子どもにせがまれて絵を描き、それに色が塗られている間に一段編む、そしてまた絵を描いて塗っている間に一段編む、なんてこともできる。手を止めて保留にしやすい、というのは家事に子育てに追われる女性たちにとって、大きなポイントなのだと思った。
鹿児島に帰ってからも、続きを日常の中で細切れに編み繋げている。
何かと何かの隙間のような時間にほんの二、三段編むだけで、充足感を感じている。何も成してないような日々の中、少しずつ編み目が増えていることに密かな悦びを感じている。
子どもに怒鳴ってしまったり、夫と険悪になってしまった夜、寝ている子どもの隣で灯をつけて編む。「あみもの座談会」に来てくれた女性が、鹿児島弁で夫に何かまくしたてられた後、一人で編み物をして心をなだめていた、と話してくれたことを思い出した。
一段、一段と編み進めるにつれ、気持ちが少しずつほどかれていくのを感じていた。
2021/11/10
あみもの座談会2
11/7、編み物を提供してくれた方とのあみもの座談会の2回目を行った。
東北から嫁いできた、という70代くらいの女性。
当初は鹿児島弁がわからずに、苦労したと。言葉がわからないし知り合いもほとんどいないので、空いてる時間は家で手を動かして編み物をしていたと言っていた。
ご主人から、鹿児島弁でわーっと何か言われたりしたときにも、編み物をして気持ちを落ち着かせたのだと。
故郷が遠いので同窓会にも行けなくて、同窓生一人一人に、今回貸与してくださったようなレース編みを送ったのだそうだ。「編み物は、私のメッセージ」とおっしゃっていた。
言葉にはならなかった彼女の言葉を思う。
最近では足を痛めて入院されていたときも、病室のベッドの上でこのレース編みを編んでいたのだそうだ。編み物だったら、膝の上でもできる、と。
少女時代は、和裁をされていたお母さんが毛糸の衣類を編んでくれて、小さくなったものはほどいて、編み直してくれていたそうだ。ほどいた糸は、くせがついているので、蒸し器で蒸して伸ばしていたと話してくれた。
編み物は、小学校4年のときに、手にしもやけのある同級生の女の子から教わったのだそうだ。
他の参加者も、明治生まれのお母さんが冬物のほとんどを編んで作ってくれるのを、見ながら教わったという方、
やはり明治生まれのおばあさんが編むのを傍らで見て覚えたという方、
高校に電車で通うときに1つ上の先輩がいつも編み物をしていて、通学中に習ったという方、
など、編むということは誰かの手から誰かの手へと、伝えられてきたのだった。
参加者の方が、元編み物の先生をされていた参加者の方に、編み方のわからなかった模様の編み方を、持参されたマイ編み針で教わるの図
2021/10/05
あみもの座談会1
10/2、手編みのあみものを提供してくれた方と、「あみもの座談会」の第一回目を行った。合計20人の提供者のうち、今回は3人の方が来てくださった。
日々の生活の中で、「編むこと」が、どんな意味を持つのか、知りたかった。
家事をして、子育てをして、仕事をして、畑を作って、それでも数えきれないほどの編み物を作ってきたという女性たち。
とても忙しかったけど、編み物をしている時間だけは、自分だけの時間がとれたということ、とおっしゃっていた。その時間だけは、と死守していたようなお話ぶりだった。
お子さんの看病中に編んだ、という作品を展示に貸し出してくださった方。
お子さんが脳の病気で幼児期に1年8か月程入院されており、その間ずっと病院に泊まり込みで付き添われていて、その間編んだというとても大きな、複雑な模様の入った、繊細で美しいテーブルクロス。
原因がわからない中での看病は、本当に不安で不安で仕方がなかったと思う。その長い長い時間を、おそらく手を動かし何かに没頭することで、凌いでいたのではないかな、と思った。
細いレース糸を編んで模様をつくっているうちに、目をまちがっているところを見つけて、二段くらいほどいて、編み直したり、何度も編んだりほどいたりしながら作った、と。
出口のわからない時間を、行ったり来たりしながら一人編み物をする女性を思った。
「逃れていたのかもしれないですね」と呟いた一言。
上の娘さんも一緒に来てくださっていて、お母さんが、病室で椅子に座ってお腹のところにごっそりレースを溜めて編み物をしていた姿を覚えている、とおっしゃっていた。
子どもの頃は、冬物は大体お母さんが編んだ服を着ていたのだそう。編み物の服たちというのはストレートな愛情表現なのだろうなと思った。
それぞれ最近編んだというスマホケースと、お花のブローチを身につけておられた。
2021/10/01
いとなみ
霧島アートの森と2年計画で進めている"手編みの物語をあつめるプロジェクト"の展示「いとなみ」が今日から始まった。
もともとは、今年度霧島アートの森の「アートラボ」枠で個展を開催する予定だったのだけれど、建物の改修工事が入った為一年延期になり、来年展示する作品の強度をより増す為、このプロジェクトを立ち上げた。
今年度は霧島アートの森が位置する湧水町の人々から手編みのあみものと、それにまつわるエピソードを集め、それにフォーカスした展示、展示したあみもののうち提供してくれたものを糸にほどくワークショップを行い、来年度の個展で私が大きな作品としてそのほどいた糸を使って作品を編み、展示するという計画。
霧島アートの森から展示のお話をいただいた時には既に新型コロナウィルスの感染が始まっていて、プロジェクトの組み立て時にも、コロナは不可避な問題として既にあった。
以前は、特定の土地に2週間~1か月程滞在して、自分という身体を通して土地や人と関わり、作品を作ってきたけれど、子どもを産んでまだ幼いというのと、さらにコロナ禍でますます以前のような作り方ができなくなった。
そうした前提があり、2017年に福岡の三菱地所アルティアムでもやった、人々から手編みのあみものを募り、それを糸にほどいて自分の作品の素材にするということをやることにした。2017年のアルティアムの展示時も、妊娠後期~出産直後だったこともあり、これまでのように自由に自分が動くことが難しい状況にあったので、作品に誰かの手編みのあみもののストーリーという強力な素材を取り入れ、作品をつくった。「手編みのあみもの」という媒体を通して、結果その編み手の気持ちに共感するという体験を得た。
そして2021年の今回はこのコロナ禍において、不要不急の往来の自粛や非接触ということが求められる中、やはり「手編みのあみもの」というモノを媒介としてその向こうにいる人々と関わろうとしている。
当初は9/24から始まる予定でチラシやのぼりも作り、告知も始めていたけれど、直前にいわゆる「まん防」の延長が決まって展示の開始も自動的に延期になった。
展示がいつ始められるかわからない、あるいは会期半ばにして突然終わるということが普通に起こる状況は、今まで体験したことのないことで、一時はなんだかすごい喪失感と無力感を感じた。オープン日の今日は会場に行けないのだけれど、実際展示が始まって作品を観客に見てもらっている光景をこの目で確かめたい。