2022/01/13

棒編み手始め

 今年度霧島アートの森で行う個展に向けて、棒編みを習得することにした。

これまで、作品はかぎ針編みで作ってきたのだけれど、今回提供していただいた手編みのあみものは、多くが棒編みであって、セーターやマフラーは普通棒針で編むので当然そうなる。それらをほどいて自分があらたなかたちに編み直すときに、全部かぎ編みの手法のみ、というのも不自然な気がして、棒編みを取り入れることにした。

この年末年始に実家に帰省した際、針と糸を買いに行き、図書館で編み物の本を借りて母に教わりながら少しずつ編み始めた。棒編みは、一度作った目を裏、表と繰り返し編んで縦に伸びていく。どちらかというと織物に近い印象がする。

思い返せば中学生くらいのときに初めて編み物をしようとして編んだマフラーは棒針で編んだ。結局完成しないまま、おそらく今も実家の押し入れのどこかにある。手芸的な編み物はその未完成の一点のみで、長らく後になってから美術作品としてかぎ編みの手法を用いるようになった。

かぎ編みは、全方向自由に編み進めていけて、方向転換も容易でどこまでも編み続けられる。はじまりも終わりも自分次第で形の決まりも特になく、その自由さが性に合っている気がしていたけれど、

一段、また一段、と着実に編み進めていく棒編みの進行の仕方は、こちらもなかなかはまると手がとまらない。一方で一段編み終わったところで針が一本抜けるので、保留にしておくのも大変容易である。一段編むのはほんの数分なのだけれど、一段でも二段でも編むだけで、ちゃんと行為が積み重なっているのが目に見えて実感できる。傍らにいる子どもにせがまれて絵を描き、それに色が塗られている間に一段編む、そしてまた絵を描いて塗っている間に一段編む、なんてこともできる。手を止めて保留にしやすい、というのは家事に子育てに追われる女性たちにとって、大きなポイントなのだと思った。


鹿児島に帰ってからも、続きを日常の中で細切れに編み繋げている。

何かと何かの隙間のような時間にほんの二、三段編むだけで、充足感を感じている。何も成してないような日々の中、少しずつ編み目が増えていることに密かな悦びを感じている。

子どもに怒鳴ってしまったり、夫と険悪になってしまった夜、寝ている子どもの隣で灯をつけて編む。「あみもの座談会」に来てくれた女性が、鹿児島弁で夫に何かまくしたてられた後、一人で編み物をして心をなだめていた、と話してくれたことを思い出した。

一段、一段と編み進めるにつれ、気持ちが少しずつほどかれていくのを感じていた。



2021/11/10

あみもの座談会2

 11/7、編み物を提供してくれた方とのあみもの座談会の2回目を行った。

東北から嫁いできた、という70代くらいの女性。

当初は鹿児島弁がわからずに、苦労したと。言葉がわからないし知り合いもほとんどいないので、空いてる時間は家で手を動かして編み物をしていたと言っていた。

ご主人から、鹿児島弁でわーっと何か言われたりしたときにも、編み物をして気持ちを落ち着かせたのだと。

故郷が遠いので同窓会にも行けなくて、同窓生一人一人に、今回貸与してくださったようなレース編みを送ったのだそうだ。「編み物は、私のメッセージ」とおっしゃっていた。

言葉にはならなかった彼女の言葉を思う。

最近では足を痛めて入院されていたときも、病室のベッドの上でこのレース編みを編んでいたのだそうだ。編み物だったら、膝の上でもできる、と。

少女時代は、和裁をされていたお母さんが毛糸の衣類を編んでくれて、小さくなったものはほどいて、編み直してくれていたそうだ。ほどいた糸は、くせがついているので、蒸し器で蒸して伸ばしていたと話してくれた。

編み物は、小学校4年のときに、手にしもやけのある同級生の女の子から教わったのだそうだ。

他の参加者も、明治生まれのお母さんが冬物のほとんどを編んで作ってくれるのを、見ながら教わったという方、

やはり明治生まれのおばあさんが編むのを傍らで見て覚えたという方、

高校に電車で通うときに1つ上の先輩がいつも編み物をしていて、通学中に習ったという方、

など、編むということは誰かの手から誰かの手へと、伝えられてきたのだった。


参加者の方が、元編み物の先生をされていた参加者の方に、編み方のわからなかった模様の編み方を、持参されたマイ編み針で教わるの図




2021/10/05

あみもの座談会1

 


10/2、手編みのあみものを提供してくれた方と、「あみもの座談会」の第一回目を行った。合計20人の提供者のうち、今回は3人の方が来てくださった。

日々の生活の中で、「編むこと」が、どんな意味を持つのか、知りたかった。

家事をして、子育てをして、仕事をして、畑を作って、それでも数えきれないほどの編み物を作ってきたという女性たち。

とても忙しかったけど、編み物をしている時間だけは、自分だけの時間がとれたということ、とおっしゃっていた。その時間だけは、と死守していたようなお話ぶりだった。

お子さんの看病中に編んだ、という作品を展示に貸し出してくださった方。

お子さんが脳の病気で幼児期に1年8か月程入院されており、その間ずっと病院に泊まり込みで付き添われていて、その間編んだというとても大きな、複雑な模様の入った、繊細で美しいテーブルクロス。

原因がわからない中での看病は、本当に不安で不安で仕方がなかったと思う。その長い長い時間を、おそらく手を動かし何かに没頭することで、凌いでいたのではないかな、と思った。

細いレース糸を編んで模様をつくっているうちに、目をまちがっているところを見つけて、二段くらいほどいて、編み直したり、何度も編んだりほどいたりしながら作った、と。

出口のわからない時間を、行ったり来たりしながら一人編み物をする女性を思った。

「逃れていたのかもしれないですね」と呟いた一言。

上の娘さんも一緒に来てくださっていて、お母さんが、病室で椅子に座ってお腹のところにごっそりレースを溜めて編み物をしていた姿を覚えている、とおっしゃっていた。

子どもの頃は、冬物は大体お母さんが編んだ服を着ていたのだそう。編み物の服たちというのはストレートな愛情表現なのだろうなと思った。

それぞれ最近編んだというスマホケースと、お花のブローチを身につけておられた。







2021/10/01

いとなみ

 


霧島アートの森と2年計画で進めている"手編みの物語をあつめるプロジェクト"の展示「いとなみ」が今日から始まった。

もともとは、今年度霧島アートの森の「アートラボ」枠で個展を開催する予定だったのだけれど、建物の改修工事が入った為一年延期になり、来年展示する作品の強度をより増す為、このプロジェクトを立ち上げた。

今年度は霧島アートの森が位置する湧水町の人々から手編みのあみものと、それにまつわるエピソードを集め、それにフォーカスした展示、展示したあみもののうち提供してくれたものを糸にほどくワークショップを行い、来年度の個展で私が大きな作品としてそのほどいた糸を使って作品を編み、展示するという計画。

霧島アートの森から展示のお話をいただいた時には既に新型コロナウィルスの感染が始まっていて、プロジェクトの組み立て時にも、コロナは不可避な問題として既にあった。

以前は、特定の土地に2週間~1か月程滞在して、自分という身体を通して土地や人と関わり、作品を作ってきたけれど、子どもを産んでまだ幼いというのと、さらにコロナ禍でますます以前のような作り方ができなくなった。

そうした前提があり、2017年に福岡の三菱地所アルティアムでもやった、人々から手編みのあみものを募り、それを糸にほどいて自分の作品の素材にするということをやることにした。2017年のアルティアムの展示時も、妊娠後期~出産直後だったこともあり、これまでのように自由に自分が動くことが難しい状況にあったので、作品に誰かの手編みのあみもののストーリーという強力な素材を取り入れ、作品をつくった。「手編みのあみもの」という媒体を通して、結果その編み手の気持ちに共感するという体験を得た。

そして2021年の今回はこのコロナ禍において、不要不急の往来の自粛や非接触ということが求められる中、やはり「手編みのあみもの」というモノを媒介としてその向こうにいる人々と関わろうとしている。

当初は9/24から始まる予定でチラシやのぼりも作り、告知も始めていたけれど、直前にいわゆる「まん防」の延長が決まって展示の開始も自動的に延期になった。

展示がいつ始められるかわからない、あるいは会期半ばにして突然終わるということが普通に起こる状況は、今まで体験したことのないことで、一時はなんだかすごい喪失感と無力感を感じた。オープン日の今日は会場に行けないのだけれど、実際展示が始まって作品を観客に見てもらっている光景をこの目で確かめたい。

2019/06/15

収蔵作品展「新しい物語のはじまり2019」


都城市立美術館の収蔵作品展に、2017年に制作した作品が2点展示されています。
ぜひご覧いただけたらと思います。

会期:
2019年5月21日(火)~6月30日(日)
月曜日休館
※月曜日が祝日の場合は、翌日が休館

時間:
午前9時~午後5時
※入館は午後4時30分まで

​料金:無料

​会場:都城市立美術館
〒885-0073 宮崎県都城市姫城町7-18