10/2、手編みのあみものを提供してくれた方と、「あみもの座談会」の第一回目を行った。合計20人の提供者のうち、今回は3人の方が来てくださった。
日々の生活の中で、「編むこと」が、どんな意味を持つのか、知りたかった。
家事をして、子育てをして、仕事をして、畑を作って、それでも数えきれないほどの編み物を作ってきたという女性たち。
とても忙しかったけど、編み物をしている時間だけは、自分だけの時間がとれたということ、とおっしゃっていた。その時間だけは、と死守していたようなお話ぶりだった。
お子さんの看病中に編んだ、という作品を展示に貸し出してくださった方。
お子さんが脳の病気で幼児期に1年8か月程入院されており、その間ずっと病院に泊まり込みで付き添われていて、その間編んだというとても大きな、複雑な模様の入った、繊細で美しいテーブルクロス。
原因がわからない中での看病は、本当に不安で不安で仕方がなかったと思う。その長い長い時間を、おそらく手を動かし何かに没頭することで、凌いでいたのではないかな、と思った。
細いレース糸を編んで模様をつくっているうちに、目をまちがっているところを見つけて、二段くらいほどいて、編み直したり、何度も編んだりほどいたりしながら作った、と。
出口のわからない時間を、行ったり来たりしながら一人編み物をする女性を思った。
「逃れていたのかもしれないですね」と呟いた一言。
上の娘さんも一緒に来てくださっていて、お母さんが、病室で椅子に座ってお腹のところにごっそりレースを溜めて編み物をしていた姿を覚えている、とおっしゃっていた。
子どもの頃は、冬物は大体お母さんが編んだ服を着ていたのだそう。編み物の服たちというのはストレートな愛情表現なのだろうなと思った。
それぞれ最近編んだというスマホケースと、お花のブローチを身につけておられた。