2022/06/27

間借りオープンアトリエ#1の記録

 5/27から休館日を挟んで5日間、湧水町のくりの図書館で間借りオープンアトリエの1回目を行った。

初日、やたら気持ちが急いて肩に力が入りまくって自宅から高速道路を運転して会場に向かった。1時間20分の運転中、それまでの日常のとっちらかった雑念が車の速度とともに置き去りにされ、意識が徐々に一つに集約されていった。けれどもうっかりインターを降りそこね、宮崎県まで行ってしまう・・いい具合に疲労し肩の力抜ける。なんだか最近というか産後からずっと、うっかりミスとかうっかり物忘れがものすごく多くて心配になる。単に老化なのかもしれない。

今回の湧水町での公開制作では、一番最初の作り目をつくるところから始めた。ありがたいことに会場が図書館なので、編み物の本はたくさんあり、それらを参考にしながら編んでいった。

かつてニット帽だったグレーの糸で、もともとの編地(二目ゴム編み)を踏襲して編む。

二目ゴム編みは、表、表、裏、裏、と目を二目ずつ交互に編んでいく。ただこれだけなんだけれど、ちょっと意識がそれると今どっちを編んでいるのかわからなくなり、途端におかしな編地が出来上がる(そしてそれにだいぶ後で気づく)。常に頭の中で「1、2、1、2、、、」と唱えながら編んでいかないといけない。

今まで編んできたかぎ針の作品では、少々目の数が違っても全く問題がないし、手は自動運転で意識は全く別のところに行っていたり、人と会話をしたり、身体を使って編む感覚だったけれど、この棒編みは、一目でも編み間違えるとそれが全部バレてしまうので、気を抜けない。目の前の編地に全意識を集中させ、頭の中で数をカウントし続ける。そして注意深く糸を手前と向こうに行ったり来たりさせる。うっかり症状な私には、かなりな集中力を必要とする作業だった。

同時に提供してもらった編み物の、編地の種類の追跡も行う。今回の作品ではほどかれる前のモノだったときの編地を、一部再現するように編んでいきたいと思っている。ほどくときには再現することを思いついていなかったので、写真を手掛かりに編み方を捜索する。編地は全て編み目記号に置き換えられていて、この記号が共通言語として編み手の間にある。この暗号のような記号を介在してそれぞれの手でかたちがつくられていくという在り方が、とても興味深い。

あみもの提供者で座談会にも参加してくれたTさんが、「今日からでしたよね」と会場に来てくださった。Tさんは編み物歴60年以上で現在も編み物をはじめありとあらゆる手芸の達人であり広い畑で野菜も作り続けている方。勝手に編み物の師だと思っている。前回お宅にお邪魔した際、座敷にいっぱいに並んだ作りかけの小物たちや材料と、至る所に飾られたこれまで作ってきた作品たち。やること作るものがたくさんあるので一人暮らしでも全然寂しくないとおっしゃっていた。理想であり憧れである。

Tさんにここぞとばかりに棒編みの疑問やわからないところを質問する。Tさんがご自分で編んで提供してくれたセーターの写真をみながら、どういう編み方なのか尋ねると、「変わりゴム編み」という今まで聞いたこともない編み方だという。編み方の本が家にあると思うから貸してあげるよ、と言ってくださる。

翌日、公開時間前にTさん宅へ伺い、「変わりゴム編み」の編み方が載っている本と、編み目記号が網羅された本を貸していただく。そしてなんと変わりゴム編み他数種類の編地のサンプルを昨夜のうちに編んでつくってくれていた。実際に編み方を実演もしてくださる。さらにはご自身の号数ごとに仕分けられた棒針数十本のセットを貸してくださる。その棒針で編んでいく。

制作しながら、会場を訪れてくださった方とお話をした。話をすることで気づきやインスピレーションを得る、作品の方向性が見える、といったことがあり、そのために制作の一部をオープンにしておくことが大事なんだとあらためて思い至る。

ご自身も編み物をされていて、片道3時間かけて来てくださった方。追跡中の編地のほとんどを解明してくださる!楽しく編み物トークをさせていただき、会話の中でお子さんを現在も看病されていて、その傍らで編み物を編んでいると話してくださる。「編み物をやってたから、やってこれたのかもしれない」とおっしゃった言葉。

編むことは、とにかく前へ進ませる力を持っているのかもしれない。ひと目ひと目、目や段の数が増えていくとともに、自分も前に進んでいく。つくることで、生きる。生きるために、つくる。

でもときどきああ、これはもうどうしようもない、と途中でびゃーっと数日分をほどくこともある。行きつ戻りつしながら進んでいく。

広報誌で情報を見て寄ってくださった年配の女性。自身もかつては機械編みをよくされていたそうだ。昔は進学する家、しない家というのが大方決まっていたので、しない家の女の子は編み物や裁縫をする時間がたくさんあったというお話。今の子は、みな進学するから塾や勉強で忙しく編み物をするような自由な時間がないですね、今は何でも既製品で、こうして一からもの作りをするようなことってないんじゃないかしら、ということをおっしゃっていた。なんでも与えられて、ボーッと生きていられる、と。ドキリとする。

あなたが編んでいるのを見て、とても楽しそうで、また編みたくなった、とおっしゃった。

そう、編み物はとても楽しい。



編み物の経験のある来場者の方が「私は編み図を見てその通りに編んでただけだから」と謙遜のような意味合いでおっしゃる方が多かったのだけれど、

作業を進めていくうちに、本の編み図の通りに編むというその作業性に没頭したくなる気持ちがわかってきた。

日々の仕事や家事や育児、予測不能なイレギュラーなことが次々起こりそれに対処する毎日の中で、隙間時間や家族が寝静まったあとの時間、さてと編み棒をとり出したときに、自由な発想でクリエイティブなものを作るという方向にいくだろうか。ただただ無心に、作業に没頭したくなるのではないかと思う。何をつくるか、よりもただつくる、ということが大事だったんだと思う。


最終日に編み物提供者のMさんがお庭に咲いていたお花を花束にして持って来てくださる。とても嬉しかった。