2016/02/13

南方神社

先日、吹上ワンダーマップの展示会場の希望場所として、最後の日暮れ直前に見て、関係者の方にごあいさつをし、お返事待ちだった「南方神社」の使用許可がいただけました!!!

 とてもうれしい。

「南方神社」参道入り口にある仁王像


とてもかわいらしい造形をしている 思わず肩やほっぺに触れたくなるような


よく見ると、腰のところで胴体が真っ二つに分かれている 薩摩藩の廃仏毀釈の後、なんでも石橋の土台にされていたそうだ それを近隣の方が後になって元に戻したのだそうだ

南方神社へと続く参道 右手に海蔵院跡地、奥のほうに鳥居が見える

海蔵院の墓所跡 たくさんの五輪塔が並ぶ こちらもやはり廃仏毀釈で散乱・埋没していたものを、近年復元されたのだそう 海蔵院自体は跡形もなく、更地になっている

脇には、まだ元に戻れていない五輪塔の一部がたくさんあった 土や草とほぼ一体化しようとしていた

南方神社境内 夏にはこの神社に「伊作太鼓踊り」が奉納される 手前の四角い部分は、踊りの舞台になるらしい

境内にたくさん落ちていたシラス 約3万年前の姶良カルデラの大噴火の火砕流が固まったもの よく見るとキラキラしている
この場所を管理されている方によると、門松の名残、もしくは、お正月に新しい年が来ると、庭にシラスを撒く風習が場所によってはあるらしい



南方神社は、かつて「諏訪大明神」という名で、島津家の氏神であったそうだ。地元の方には、「オスワサァ」の呼び名で親しまれている。
諏訪、というのは言わずもがな長野の諏訪大社のこと。島津氏が勧請し、薩摩藩のあちこちにかつて諏訪神社があったのだそうだ。

それを明治時代、諏訪神社の祭神である建御名方神(タテミナカタノカミ)のミナカタをとって、「南方神社」と名前を変えたのだそうだ。

長野、昨年はじめて滞在して作品をつくったところ。
鹿児島で長野とのつながりが見出されるとは・


素材は揃った、あとはそれらをいかに紡ぐか