2014/01/21

船木神社 2

1月13日、吹上の船木神社に奉納されている船の、撮影をさせていただきました。
氏子代表の三角さんが鍵を開けてくださり、「ご神体」とされている船を、一点一点とり出してくださった。

まず初めに、「障ったらいかんから」と準備くださっていた米と塩でお清めを行い、お参りをした
手前に置かれているのは元旦の「潮浜詣り」の際に、人々によって置かれたヲトッケ


年代も形状も、さまざまな船がたくさん納められていた。全部で56隻。
「あなたたちに障らんように、私たちが出すよ」の意の鹿児島弁をおっしゃった。



木を組み立ててできたもの、丸太をくりぬいてできたもの、紙でできたもの、凝った装飾を施しているもの、などなど実に様々。
薩英戦争の際、錦江湾に現れたイギリス船を模したと言われるものなどもあった。
あまり見たことのない形状をした船も何隻かあり、「北朝鮮の船を見て作ったんじゃろうか」という吹上ならではの見解も聞かれた。
一番古いものは天明時代のもの。およそ220年前。一番新しいのは平成のもの。三角さんが納めたものもあった。




奉納する理由としては最近のものは個人の退役記念とか新築記念とか就学記念とかそういったものが墨書きされていたが、写真の明治27年のものには「献汽船壱隻日清戦争出軍兵士運命安全祈祷」と書かれてあった。その思い、願いを船に乗せることとは。
「○○神楽閉座記念」というものもあった。このあたりに神楽座があったということにも驚くけれどそれを閉座するときに船を作って納める、ということとは。
最初に言われた「障らんように」という言葉。目に見えないものの存在と、それを畏れ敬うことが、共通感覚として、ここには今も在る。

三角さんの奥さんが、なんというか楽しそうに世話をしてくれて、ハッピを用意してくれていたり船につもったほこりをハケで払ったり「ここに来て50年になるけど、こんなの見たの初めて」「これはいい大掃除になったなぁ」という意の鹿児島弁をおっしゃっていて、なんだかとても場が和んだ。


神社の裏の石塔にヲトッケを供える奥さん 「どうかお願いします」とごく自然に口ずさんでいた
週に一回、奥さんが境内の掃き掃除などをされているそうだ

撮影終了後、午後からふたたび一人で船木神社を訪れた。
田の神さぁを背に、船木橋を渡って小山のふもとの船木神社まで歩く。
船木神社のある小山の周りを歩いた

山の木々


海へ、と思いそのまま吹上浜へ行った




通常ご神体は御みこしなどに乗ってお祭りのときに移動をし、御みこしはご神体のいわば乗り物だけれど、船木神社の船の場合は乗り物ではなくて船自体がご神体とされている。それが不思議だった。
そのことを帰りの車中で話していたら、建築家の木下さんが船の材料にはよく楠が使われる、ということをおしえてくれた。何かで南九州では、神社の御神木が楠であることが多いと読んだことがある。確かに近くの大汝牟遅神社でも樹齢800年と言われる大きな楠が御神木であり、巨大な楠が群生している「千本楠」がある。
吹上は巨木とか巨石が多く点在した土地であり、そういったものを神さまとしていたのは自然なことなのだろう。だからその神とされる木で作った船は、それ自体も神さまとみなされていたのかもしれない。