2013/11/27

フンドーキンマンション滞在制作記 1 地鎮祭



昨日の早朝、 ART PROJECT OITA「循環」に参加するために大分市に着きました

「フンドーキンマンション」という、今は廃墟になってしまったマンション内で、12/4まで滞在制作を行います



大分出身なので、フンドーキンマンションの存在はずっと気になっていた
建物が面白い造りをしていて、外観はツタが茂って独特の雰囲気を醸し出していたり、知り合いの人が住んでいたり、なんと言ってもあの「フンドーキン」の看板 私の地元の臼杵市にはフンドーキンの工場があって、でっかい分銅に金のマークがどーんとかかっていて、毎日そのマークを見ながら学校に通っていた。それにうちの食卓の味噌と醤油は全部フンドーキンだった。

しかもそこを、5月まで働いていた湯布院のギャラリーのオーナーの裏さんが手がけてアートプロジェクトを行うということで呼んでいただいて、感慨深い

10月の半ばに一度下見に行った その時はまだそこに住んでいた人が出たままの状態が残っていて、ものすごい部屋もあったりとかして、けれどなんだか部屋によっては静かな美しさも見受けられた。
11月になりプロジェクトが始まって、私はすぐに大分入りすることができず、他の参加作家さんたちがすごく楽しそうに制作してるのを色々聞き及んでもどかしい思いをしていた。
昨日到着してみて、なんかすごいことになっていてびっくり、一人一人の作家さんの作品のパワーがすごくて、なんかフンドーキンマンションの、生活の、陰の部分のエネルギーがひっぱり出されて倍増されてたりとか、会期半ばで封鎖されてしまった部屋があったりとか、説明してもらいながら全部見終わった後には、なんだかもう気分すぐれずグッタリしてしまった。それはすごいことなんだと思う。とにかくあちこちで名伏せ難い強いエネルギーが渦巻いていた。
当初下見に来た時に決めていた場所はすっかり雰囲気が変わっていたので変更することにした。唯一空いていた501号室は、もともとその部屋にあって住民の人が置き残して行ったものと、他の部屋にあったもので展示を作るのにいらないものや邪魔なものが放り込まれて、足の踏み場もないくらいに大量のあらゆるものが散乱していた。

一番最後に来てしまったんだから仕方がない、この部屋で、この状態を受けいれて作品を作るしかない、と思い、やろうとしたんだけれど、なかなかヘビーで、このモノたちを受け入れるということは、そんな生易しいことではなかった。ぎりぎりまで悩んだんだけれど、そこに散乱していた全てのモノを、左側の部屋だけに集めてもらうことにした。せめて、山のかたちにモノを積みたいと思った。
男性3人にお願いしたら本当にアッという間にすっかり片付いて、なんか急に場が変わったのについていけなくて、ほんとびっくりした。片付けてるんだから破壊、ではないはずなんだけど、それに近い衝撃が部屋内で起こった感じがして、男性達が去ったあとなんか呆然としてしまった。

よく、建物を壊して新しくその場所に建設しようとするとき、更地になったその土地に、地面の砂で山を作って、榊を供えてるのを見て気になっていて、建設会社で働いてた人に聞いたらそれは地鎮祭だ、と教えてくれたことがあった。

山になったモノの中になぜか御幣のようなかたちに切った紙があった。
棒につけて、山にたてた。一人地鎮祭を行った。

きっとこの状態で一晩たって朝になり日が昇ったら、作れる空気になってると思い、そのまま扉を閉めた。

なんだか色々色々色々なことがあった一日だった。
でも安心していられるのはやはりここが大分だからなんだろう
今回の滞在制作は他の作家がみんな帰った後で一人なので、じっくり、深く、作れたらと思う。

さてもう日が昇る。