2012/04/08

カセツ世界まで 1

今回「レトロフトMUSEO」で個展をさせていただくきっかけとなったのは、2008年の4月、福岡市の冷泉荘のギャラリー「ル コアン ド リアリテ」で開催した「平川渚・冷泉荘に棲む」という個展でした。
冷泉荘という古いアパートの一室に約一ヶ月滞在し、そこで生活をしながら糸を少しずつ増やしていきました。
その時の個展が新聞に載り、その小さな記事を見て会期中に訪ねてきてくれたのがレトロフトのオーナーの、永井友美恵さんでした。当時はまだレトロフトはオープンされてなくて、織りの作家さんである永井さんと、糸の話をしました。
作品に使っている糸の一部は、私の母親が何十年も前に、貰ったり買ったりしたもので、それがビニールの袋にたくさん入れられて何袋も、ずっと家の押入れの天袋の中に入っていて、なかには何かを編もうとして途中になってるものが糸の端に他の糸と絡まりながらくっついているものもあったりして、その糸から一部持ってきて使っています、という話をしました。
けれども母は編み物を特別にやっていたというわけではなく、母の年代の女性は、大体において若い頃にセーターやスカートを編んだり、生まれてくる子どものためにくつ下を編んだりしていたようです。私も幼少の頃から編み物に親しんでいた、というわけでは決してなく、小学生の頃に一度だけ棒針でマフラーを編みかけて完成しないままそれっきりになっていました、というようなことをお話しました。
永井さんは、今あまり細い毛糸はカセで売ってないから昔の糸は貴重ですね、と言ってくれて、ご自身も、お母様が刺子をずっとやってらっしゃって、無意識のうちに、影響をうけていたんだと思う、平川さんも、部屋の押入れのあそこに、大量の毛糸があって、何かになりそうだな、というのが意識の隅にあって、それで糸を使い始めたのは自然なことだと思う、ということを言ってくださった。
それで、私は、あぁ、糸を使ってていいんだな、と思ったのを覚えています。
それからも、時々その言葉を思い出して、糸を使って作品を作る上で、いしずえのようになっていました。
それから3年経った昨年の2月、鹿児島の吹上町であった「FUKIAGE WANDER MAP2011」に参加した際、フライヤーに掲載された私の名前をみつけて、連絡をくださり、展示会場の中島温泉旅館まで会いに来てくださった。
そこで、2年前に鹿児島市内にギャラリーをオープンしたという話を伺って、ぜひ個展をしませんか、と言ってくださった。いつか、平川さんに展示をしてもらいたいと思っていたのよ、と。
一度お会いしただけで何年も連絡をとっていなかったのに、そんな風に思ってくださっている方がいたなんて、とても嬉しくて、こんな風につながって、なんだかすごいな、と思います。
さらにさらにさかのぼると、冷泉荘で個展をすることになったのは2007年に湯布院のgallery sowで、初めての糸を使った個展「平川渚・秋の巣籠り」を行った際に、隣の展示室で開催されていた森山年雄さんの写真展をみに「ル コアン ド リアリテ」オーナーのイシマルユキコさんがいらっしゃり、糸を編んでいた私に、うちも滞在できるからどうですか、と声をかけてくださり、翌年冷泉荘で個展をさせていただくことになった。
そうやって辿ると、今の縁があの小さな白い部屋に行き着くのだなと思うと、今改めて、あの展示をしてよかったな、と、あんなことをやらせてくれたgallery sowオーナーだった裏さんに、感謝だな、と思います。